岩隈久志が今季限りでの引退を表明
しました。
思えば、岩隈も39歳。
仕方がないとはいえ、「他球団に
行けば、まだやれるのでは」という
思いはあります。
岩隈というピッチャーに対する思い、
私は結構ありましてね。
2004年、結果的には近鉄最終年と
なった年でしたが、その年に12連勝
をした途中、私は今は亡き女房と、
当時1歳の娘を連れて、東京ドームに
「日本ハム×近鉄」戦を観に行きました。
その時の近鉄の先発が岩隈でした。
3塁側の内野の上の方から見ましたが、
「細いけど、軸がぶれないピッチャー
だった」という印象が残っています。
(*近鉄時代の岩隈です。↓)

岩隈の野球人生で最大の分岐点は、
その年に起きた「近鉄とオリックス
の合併」だったはずです。
オリックスが近鉄のいい選手をごっそり
持っていったあの時、最後まで抵抗した
のが岩隈と「不動の3番」磯部公一でした。
そして、その二人だけはオリックスに
行かずに、楽天に来てくれることと
なった。
私は仙台出身でしたから、楽天の新規
参入を喜びながらも、オリックスが
いい選手を根こそぎ引き抜いていった
ことに内心、腹を立てていました。
そんな中、楽天に来てくれた岩隈と
磯部の男気は一生忘れることはない。
これこそ「蛮勇」でしてね。
気骨の男でしたよ。
楽天に来てからは、弱い打線に援護を
求めるのも難しい中、球団初勝利を
挙げ、2008年には21勝4敗という
驚異的な数字を挙げては、パリーグの
MVPにも輝きました。
もっとも、その頃、私も仕事が忙しく、
岩隈の投げる試合を実際に見た記憶は
ほとんどありません。
スポーツ紙でチェックするくらいでね。
(*楽天時代の岩隈です。↓)

その後は、楽天の初優勝を待たずに、
岩隈は大リーグのマリナーズへ移籍
しました。
岩隈のすごいところは、その勝率です。
日本でも通算107勝69敗で勝率.608
でしたが、大リーグでも通算63勝
39敗で、勝率.618。
日米通算では170勝108敗。
これだけ「負けないピッチャー」は、
なかなかいません。
マリナーズでは2015年に、日本人と
しては野茂英雄さん以来のノーヒッター
を達成したことも記憶に新しい。
今思えば、あのノーヒッターがいわば
「最後の花道」だったのかもしれません。
(*マリナーズ時代の岩隈です。↓)

近鉄時代の若武者ぶり、楽天時代の
安定感、大リーグ時代の集大成。
これ以上ない野球人生だったと思います。
大リーグから巨人に移籍してからは一軍
での登板はありませんでしたが、最後の
最後は、優勝の輪に加わらせてあげられ
ないだろうか。
巨人の二軍で岩隈から教わって、今一軍で
活躍しているピッチャーだっているはず。
何らかの形で巨人の優勝に貢献している
ことは間違いない。
「最後の最後の花道」、ぜひとも原監督
には作ってもらいたいものです。
*超一流ピッチャーだった岩隈は、著書も
多い。紹介しておきましょう。↓