2017年07月02日

【訃報】阪急ブレーブスを3年連続日本一に導いた名将、上田利治さんを悼む・・・「伝説の抗議」は忘れられません、口癖の「ええで、ええで」もね・・・ご冥福をお祈りいたします

今日、私は1軒目のコンビニで、
「DeNA 桑原」が一面のスポニチ
を購入しました。

娘と買い物を終え、昼食を買おうと
違うコンビニに入ったら、入口の
スポーツ紙売り場で、私はある
見出しを見てびっくりしました。

先程買ったスポニチの一面に
「上田利治さん死去」とあった
からです。

差し替えられたのでしょう。

上田利治さん。

お亡くなりになりましたか・・・。

オールドファンには忘れられない
野球人の一人です。

私にとっては、まだプロ野球名鑑で
選手たちの顔や成績を見て楽しんで
いた、小学校低学年の頃の「大監督」
ですよ。

なにしろ、阪急ブレーブスの監督と
して、1975年から77年まで3年
連続日本一に輝いた名将。

78年のヤクルトとの日本シリーズ
では、3勝3敗で迎えた第7戦、大杉
勝男さん(故人)がレフトポール際に
放った大飛球がホームランと判定
されたことに猛抗議。

1時間19分の抗議は、もはや「伝説の
抗議」として語り継がれています。

それくらい、勝負に真剣で熱かった
ということですよ。

ちなみに、私はその頃、おぼろげながら
に阪急ファンでしたが、ヤクルトが初の
日本一に輝いてからはヤクルトファンと
なり、大学生の頃までしばらく続くこと
となりました。

上田さんはその抗議の責任を取り
辞任しますが、ほどなく阪急監督に
復帰し、オリックスに球団が身売りと
なった時にも阪急の監督を務めて
いました。

95年からは日本ハムの監督となり、
奥さんの宗教絡みの問題もあり、
一時休養することはありましたが、
90年代後半には「ビッグバン打線」
を率いて、優勝まであと一歩という
ところまで行きました。

もう一回優勝させてあげたかった
ですが・・・。

監督通算20年、1322勝は歴代7位。

優勝5回、日本一3回。

「名将」と呼んで間違いのない
大監督でした。

80歳になっていたんですね。

プロ野球界に大きな足跡を残した
一人です。

口癖の「ええで、ええで」も懐かしい
なあ・・・。

忘れられません。

ご冥福をお祈りいたします。


*上田さんの著書とカード、紹介して
おきましょう。↓








posted by あらやまはじめ at 18:53| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪急ブレーブス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック






「いいね!」はコチラ!↓

にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ
にほんブログ村

にほんブログ村 テレビブログ ラジオ・ラジオ番組へ
にほんブログ村