克美しげるさんが今年の2月にお亡くなりになっていたと。
克美さんは、1963年に「エイトマン」、1964年に「さすらい」と大ヒットを飛ばし、1964年〜65年にはNHKの紅白にも2年連続出場。
しかし、1976年、愛人を殺害し、懲役10年。
1984年に出所後は、カラオケ教室を開いて成功しましたが、1989年に今度は覚せい剤で逮捕。
それ以降は、「過去の人」となっていました。
私がなぜ、克美さんを今日、このブログで取り上げたかといえば、それは、1986年ですか、私が16歳になったばかりの頃、彼のカラオケ教室の引っ越しを手伝ったことがあったからです。
私は、高校1年の冬休み、16歳になったばかりの頃に、当時住んでいた仙台を片道切符で家出したことがありました。
その詳細についても記したいところですが、相当長くなりそうですので、以前、「社労士ブログ」で書いた記事をご参考頂ければ幸いです。
(「おトクな社労士」ブログの当該記事です。↓)
http://ara-sharoushi.seesaa.net/article/375037598.html
さて、東京は上野に出てきた若き日のあらやまですが、いろいろありまして、すぐに「やっぱり仙台に帰ろう」と思いました。
しかし、片道切符で来たので、カネがない。
そこで、年齢を偽って(18歳と)、日払いのバイトをしたんですよ。
その時の仕事が、克美さんのカラオケ教室の引っ越しでした。
私は克美さんの名前は、一応知っていました。
歌謡曲マニアでしたから。
ですが、曲は知らなかったし、顔も分からなかった。
後で、仕事が終わった後、ベテランの作業員が「しげるちゃん、トシ取ったなあ」と語っていましたので、引っ越しの現場には克美さんもいたのでしょう。
私はねえ、死ぬまで克美さんのことは忘れないと思います。
なぜなら、この一件があったから。
ちょっと計算してみましたが、あの時、克美さんは49歳前後だったんですねえ。
ちなみに、家出から仙台に戻ったときに、この話を両親にしたら、今は亡き父は「克美しげる? ああ、あの悪いことした人か」と言っていたのを今でも思い出します。
カラオケ教室がどこにあったのかも覚えていませんが、確か埼玉方面だったのでは?
あれから、27年。
亡くなってから、8か月経って、やっとこうして表沙汰になった。
克美さんの全盛期は、私が生まれる前の出来事ですから、全く存じ上げませんが、この「引っ越し」の一件だけでも、私はお世話になった恩がある。
あそこで日雇いの仕事ができなければ、仙台に帰れなかったわけですから。
何の因果か分かりませんが、こうして一度だけでもお目にかかることができたのは、なんらかの意味があったのかもしれません。
75歳ですか。
私の父よりも年上だったんですね。
いろいろありましたが、ご冥福をお祈りいたします。
*克美さんの「エイトマン」は、こちらで聴けるようですよ。↓
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